″大東亜戦争関連記載″
″現存するゼロ戦は今″
″第二次世界大戦中 ″大日本帝国海軍の主力戦闘機として活躍し,連合国から大いに恐れられた零式艦上戦闘機、
<通称ゼロ戦>。
開発は三菱重工が行ったが,中島飛行機でもライセンス生産され,生産された約1万機のうち、
半分以上は『中島製』であるそうです。
現在レプリカを含め現存するゼロ戦は極わずかで,その内,飛行可能な状態にある機体は世界にわずか<四機>
映像の機体は,ブレーンズ・オブ・フェイム航空博物館が所有しているもので世界で唯一現存している。
<栄エンジンを搭載したゼロ戦です>。
この博物館では,毎年5月に開かれる航空祭でデモフライトを実施しており,
この映像もその際に撮影されたものであるようです。
数十年の歳月を超え再び空を舞うゼロ戦の姿に,外国人からは様々な反応が寄せられていた。
散る桜,残る桜も散る桜
昭和20年4月1日
ついに米軍が沖縄に上陸沖縄を死守する為,世界一の戦艦大和・巡洋艦・駆逐艦
10隻による日本海軍最期の連合艦隊が出撃します。
しかし武運及ばず,昭和20年4月7日14時23分大和爆沈する。
天一号作戦における3685柱の英霊に感謝致します。帝国海軍,最期の連合艦隊これまで・・・
嗚呼~永遠の大和,天下に恥じざる最期なり。
誇れる日本❕
″神戸大空襲″
″帰国後の小野田寛郎さんの言葉″
その後の小野田さんがどんな思いで日本を見ていたか。
『生まれてきたからには死ぬのは嫌です』そんな当たり前な言葉なのに説得力があります。
小野田さんの考え方に触れる事で日本の戦前・戦中・戦後・現在そして未来までを考えさせてくれます。
実は先に『宣戦布告』なしに,日本へ攻撃を仕掛けていたのは,アメリカだった事をご存知ですか?
日本による『真珠湾攻撃』によって大東亜戦争が勃発したと教えられてきた。
本当はアメリカが『宣戦布告』なしに先に戦争を仕掛けていたのだ。昭和16年12月8日の『真珠湾攻撃』の約5ヶ月前,昭和16年夏にアメリカは,
秘密裡に254人の戦闘機パイロットを中国大陸に送り込み,日本軍を攻撃していたのである。その軍隊をフライングタイガー(飛虎隊)という。
日本が先に『宣戦布告』なしに『真珠湾攻撃』をしたと云うのは『事実無根』なのである。
ですから,アメリカの合言葉『リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)』は全くの『まやかし』である。
以上の本当の歴史を次世代を担う子供たちに知って頂きたく思います。
″神風特別攻撃隊″
私は戦場での30年,生きる意味を真剣に考えた。戦前,人々は命を惜しむなを教えられ,死を覚悟して生きた。
戦後,日本人は何かを命がけでやる事を否定してしまった。覚悟しないで生きられる時代は,いい時代である。
だが,死を意識しないことで,日本人は生きる事を疎かにしていないだろうか。
我が身を守る力無き者は餌になるのみ。この世は弱肉強食 戦わないと殺される。愛する者と我命は,
自分で守らねばなりません。自分の国は,自国民が護る必要があります。
世界の歴史を鑑みると戦いに於いて戦死した者より戦わずして虐殺された者の数の方が圧倒的に多いのだそうです。
第二次世界大戦中抵抗できずに殺されたポーランド国民の数は約600万人。これは戦前人口の18%にあたる 。
一方 国を挙げて戦った日本は,軍人の戦死者約230万人。一般市民約60~80万人。合わせて約300万人です。
そして,第二次大戦後にスターリンや毛沢東等の共産主義者に虐殺された人々は数千万から億に達すると言われる。
現在も支那共産党に虐殺されている法輪功・チベット・ウイグル・東トルキスタンの人々の数も測リ知れない。
結局自分の命を守る為に戦えなかった者は無抵抗のまま虐殺されるしかないのです。
何度も言いましょう。 日本国憲法9条は『どうぞ日本国民の命を差し上げます』という奴隷の誓いであり,
これを掲げる奴等は,日本国民の敵なのです!
目覚めましょう.日本人
<東条内閣>
2・26事件を契機に軍部の政治進出に拍車がかかり,東条内閣成立後,(大東亜戦争)に突入していくのである。
ハワイ真珠湾攻撃成功の後,昭和17年,シンガポール攻略を始め,華々しい戦果を挙げたのだが,この時に東条英樹は
何故,米英と有利な条件で講和しなかったのだろうと思う。
その後,米英の反撃が始まり,日本軍はサイパンを含め各方面で玉砕の憂き目を見る事に成ります。
そして沖縄決戦後に昭和20年の8月に広島・長崎に原爆を投下され,終戦に成る。
今から71年前の3月17日,約70機のB29が深夜の神戸を爆撃した日であります。
当時,照明弾の明かりで,はるか上空に銀色の不気味な機体が,いくっも浮かび上がったそうです。
神戸の西部では多くの被害者を出し,約2500人の死者を出した。
そして,6月5日,前回をはるかに上回る350機のB29が襲いました。
2時間以上の間,東京大空襲の約2倍の3000トンの爆撃が神戸の街に落とされたのです。
戦死されました方々に追悼❕ 黙祷❕
P51マスタング
昭和20年6月7日、B29が409機が編隊を組んで大淀や都島区・旭区・城東区周辺に日本人を焼き尽くす為に開発された焼夷弾を落とした。
逃げ場を失った人々は,淀川に向かいます。淀川河川敷のそばにある城北公園には,多くの人々が避難したが,その中には、
四国からきた繊維工場で働く少女達も大勢避難していた。
そこを戦闘機『P51マスタング』が機銃掃射をし,恐怖で逃げ惑い,公園の木々に隠れる少女達を12.7ミリ機関砲で狙い撃ちしたのです。
3千人以上が亡くなり,淀川河川敷で火葬した黒煙は三日間上がり続けたという。
千人以上の身元不明の御遺体は,今も城北公園を抜けて淀川の土手にある千人塚の石碑の下に納められている。
以上