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戦犯否定論の記載
<護送中の戦犯>
<東条英機>
<東条内閣>
2・26事件を契機に軍部の政治進出に拍車がかかり,東条内閣成立後,(大東亜戦争)に突入していくのである。
ハワイ真珠湾攻撃成功の後,昭和17年,シンガポール攻略を始め,華々しい戦果を挙げたのだが,この時に東条英樹は何故,
米英と有利な条件で講和しなかったのだろうと思う。
その後,米英の反撃が始まり,日本軍はサイパンを含め各方面で玉砕の憂き目を見る事に成ります。
そして沖縄決戦後に昭和20年の8月に広島・長崎に原爆を投下され,終戦に成る。
不当な裁判でもきちんと罪を償い,国会でも名誉回復されたにも関わらず,永遠の犯罪者だと朝日や左翼から糾弾される彼ら。
だったら戦犯を罵る「国会議員・辻元清美」も,未だに立派な犯罪者である。
A・B・C級戦犯の区別なく今現在は戦犯ではありません。
戦犯を口にする輩は<反日市民団体・左翼団体>であり,靖国神社への参拝を拒否する政党もある。
占領中は,GHQの検閲によって東京裁判批判は一切禁じられていた。しかし,GHQが日本から去り,言論の自由を回復するや、
東京裁判を日本人の立場から批判されるように成っています。
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1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約発効。日本は晴れてGHQからの独立を回復。
しかし,引き続き1,224名もの日本人および戦時中日本国籍だった朝鮮人・台湾人がA級・B・C級戦犯として
服役しなければなら成らなかった。講和条約が発効したのに,何故,敵国に裁かれ,釈放されなかったのか?
そのような疑問から,戦争裁判(東京裁判)に対する国民の関心は一気に高まったのである。
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