三島由紀夫先生関連記載
激<三島由紀夫>
国土ヲ離レテ国民ナク,国民ヲ離レテ国民社会ナク,
国民社会ヲ離レテ人生ナシ
故ニ国ヲ愛セザルモノハ人ニ非ズ
日本ハ尊厳極ミナキ皇室ヲ中心トシテ世界ニ比ナキ団結力ヲ有スル
日本同胞ノ愛国同胞主義ニヨル日本タラザル可カラズ
実ニ,日本ハ愛国同胞主義ニ生キ,愛国同胞主義ハ国体ニ生ク
シカモ日本愛国同胞主義ヤ今何処
国体ヤ今何処
世界ノ大勢,国内ノ実状,一トシテ国本改造ノ急ヲ告ゲザルモノ無シ
日本ノ危機タル真ニ未曾有ト称セザル可カラズ
之ヲ救フモノハ何ゾ
唯愛国革新ノ断行アルノミ
生命ニ価スルモノハ唯生命ヲ以テノミスベシ
日本愛国革新者ヨ,日本愛国革新ノ大道ノ為ニ
死ヲ以テ,唯死ヲ以テ立テ
″三島由紀夫・略譜 ″
三島由紀夫先生
大正14年1月14日、東京・四谷区に父・平岡梓、母・倭文重の長男として生まれる。
本名・平岡公威。学習院中等科時代には既に天才作家の片鱗をのぞかせている。
昭和21年、東京帝大卒業、父の希望通り大蔵省へ入省。
昼は役所勤め、夜は執筆という生活のため極度の睡眠不足となり駅のホームから転落。
三島由紀夫氏は翌年退職、作家活動に専念する。
小説家として本格的にデビューした氏は数々の問題作を発表していった。
『愛の渇き』『青の時代』『禁色』『潮騒』『金閣寺』………。
ボディビルは30歳から始めた。
小説以外の分野、批判や戯曲の世界でも才能をふるい舞台演出もこなす。
40年『春の雪ー『豊饒の海』第一巻』連載開始。42年、一人自衛隊に体験入隊。
『真の日本』をここに夢み『ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った』
三島由紀夫氏は翌年、死を共にする森田必勝氏ら学生を引率し再び体験入隊。
<楯の会結成>
45年11月25日『豊饒の海』最終巻『天人五衰』完結のこの日は、全国的に晴れ渡っていた。
享年45歳。
『檄文』日本を日本の真姿にして、そこで死ぬのだ。
生命尊重のみで、魂は死んでも良いのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち共に死のう。
我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇る事を熱望するあまり、
この挙に出たのである。
三島由紀夫の本名・平岡公威(きみたけ)大正14年東京生まれ、
昭和24年の『仮面の告白』で作家としての地位を確立。
代表作に『金閣寺』『豊饒の海』など戦後社会の甘えを憂い、
44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。
45年11月【楯の会】メンバーと自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが、
果たせず割腹自殺した。
【憂国祭】
憲法改正は、まだまだですが歩み続けたいと思います。
写真は有志の方から頂きました。
今も尚 私たち日本人の脊梁を蝕み続けている『愚民化憲法』 何故なんだろう?
どんな大きな力が、日本人による『自主憲法の制定』を阻んでいるのだろう?
占領統治され『主権の無い国では憲法の制定』は出来ない。
GHQの占領政策として制定された憲法が、無効である事は何ら疑う余地の無い事だが。
日本は当たり前の事が通らない社会にされている。
目覚めましょう日本人!
"三島由紀夫の割腹自殺の理由"
小学生にも分かるように説明
日本の国がこのままでは良くない国になると思った三島由紀夫は『縦の会』というグループをつくり、
自衛隊に出向いて『このままだと日本が他国から侵略される。一緒に日本国を守ろう!国を良くしよう!』
『憲法を変えよう』と呼び掛けましたが、呼び掛けには応じてもらえず、国への抗議の為に自殺したのです。
その時代から三島由紀夫は先見の目が合ったと云えます。
確かに今現在の日本の国は、中国や韓国によって内外から侵略されつつあるのです!!
政治家を始め、報道関係(マスコミ)・企業・反社会的勢力・その他は在日朝鮮人に牛耳られつつあります。
<堀光明>