独立国家日本の【主権回復】目指せ!!
「昭和27年4月28日」この日は、サンフランシスコ講和条約(昭和26年9月8日調印)発効日であり、
連合国占領統治が終了し,GHQが日本国から居なくなった日であり,日本国が『国家主権』を回復した歴史的な日でもある。
「昭和20年8月15日」この日は、皆が知っている通り「終戦記念日」です。
お盆とも重なり、国を挙げて英霊をはじめ、戦争で犠牲に成った方々への慰霊と平和を祈念する一日と成っている。
しかし、別の側面から見れば、この8月15日は『敗戦の日』すなわち『ポツダム宣言』の受諾によって
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・』無条件降伏、すなわち自ら『国家主家の喪失』を宣言した日でもある。
正式には、9月2日の<ミズーリ号>での降伏文章の調印ではあるが、この日をもって日本国は自らの武装を解除し、
自分の国を自分で守ってはいけない国に成ったのである。しかし戦後70年経った今こそ、主権回復を果たそう!!
国の為に成らない野党など、黙視・無視すれば良い!!
″主権回復″
<両陛下も<主権回復の日>式典にご出席>
民族派行動右翼としては『ポツダム会談』により日本は{占領憲法=日本国憲法}をアメリカから押し付けられ、
左翼勢力が跋扈し亡国への道を辿っているとし、これらを形成するYP体制の打倒を主張しています。
具体的には『自主憲法の制定・日米安保条約の破棄と自主国防体制の充実』を実現しなければ成らないと私は考える。
当会の『綱領』に『国家護持』というのがあります。『国家護持』の中には『YP体制』打破もあるのです。
『サンフランシスコ講和条約』が発効し、約7年にも及ぶ占領から解放され、主権を回復したのだが、
60年たっても占領体制から抜け出せず、未だに沖縄問題が存在する。占領憲法を『平和憲法』と錯覚している有り様だ!!
そんな現状を打破すべく『真の独立国家』日本と成る為の再建を目指さなければ成らない。
然しながら、ついに念願の『政府主催の主権回復記念集会』が実現した途端に、その集会も一度だけで止まってしまった。
折角、日本政府が日本の主権回復に目覚めたと云うのに、何故、止めたのか不思議で成らないのである。
頑張りましょう。真の独立国家日本再建の為に!!
(挨拶)総本部総裁
京都将軍塚にて
″5月3日″押し付け占領憲法施行日
5月3日は米国が創った【憲法記念日】であり、我が国にとっては【日本の屈辱の日】である!!
昭和22年5月3日に日本国憲法が施行されたのを記念して、昭和23年公布・施行の『祝日法』によって、
【憲法記念日】が制定されたのである。
日本国憲法とは、大東亜戦争終結後に日本を占領した(GHQ) に押しつけられた無効な【押し付け占領憲法】です。
日本政府は『大日本帝国憲法』の諸条項を踏襲した改正要綱をGHQに提出したが、『マッカーサー総司令官』は
受け入れを拒否したのである。押し付け権法、独立国の憲法として認めることは出来ない。自主憲法制定するべきだ。
″主権″=『主権とは何か』
(1) 国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
(2) 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
(3) 国家の政治を最終的に決定する権利。「国民である」
日本が主権回復した『サンフランシスコ平和条約』
『実際は主権回復したのか日本』
サンフランシスコ講和条約を発効し,日本は独立を回復した。
政府は、これを祝う『主権回復の日』記念式典を初めて開催する。この行事をどう受け止めたら良いのだろうか。
政府内には講和条約締結から祝賀行事を開いては如何かという声があったが『民主党政権下』で日米関係がギクシャクして
見送りに成ったのである。民主党は日本の為に成る事には、必ず反対する日本を崩壊に導く政権与党である。
折角、野党だった自民党が、衆院選の公約に式典開催を明記したのである。
その実行である。気になるのは行事の前史だ。1997年に『主権回復の日』の政府式典開催を求める学者らが集会を開いた。
趣意書には『占領軍即席の憲法』との表現がある。
参加したのは、先の戦争は聖戦で、東京裁判は不当な断罪と考える人たちが多かったという。
実際に我が国に主権があれば、国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利がある筈であり、
シナ・韓国などに内政干渉はされない筈である。
頑張ろう日本!!